惜春エクストリーム宿世

♪自~我を 取り戻せェ~

推しという概念 I

 永石花瓶です。

 

 皆さん、今日もギリギリで生きていますか?

 私はというと、ジリジリと骨まで溶かすような夏の暑さも過ぎ去ったというのに、猛暑の夏にクーラーの効いた居間とクーラーの無いジメジメした自室との行き来のみを繰り返した弊害の腹の緩さを未だに引きずっています。

 

 ここで突然ですが、「あなたの推しを見せてください」。

 

 ん~?急に昼めし旅みたいなこと言ってんな~!!!と思った方、正解です。夏休み中に毎日毎日昼めし旅を見たせいでお昼12時はヒルナンデス派だったのに、今は昼めし旅を見ないと禁断症状が出るまであります(出ない)。

 

 少々脱線したところで、あの質問を受けてあなたの脳内には一人や二人、あるいはもっと多くの推しが思い浮かんだのではないですか?一人もいないにしても「この人は推しと言えるかな?」なんて考えてくれていたらうれしいです。知り合いの推しのことだって良いです。それだけで質問者冥利に尽きます。

 

 そしてありがたいことに私にも推しが存在します。それはもう、山のように。二次元から三次元まで、それはもう幅広く享受させていただいているので、今日も何とか生きています。

 

 しかし、簡単には言い表せないのが推しってもんです。それでいいのに、人の推し事形態を自分の型にはめようとして、型から外れた人をまるで非国民かのように言ってくる人っていますよね?なんかもう無理じゃないですかそういう人。私の知り合いがそうです。

 なので今回は、そんな人間によって生きづらくなった話をします。

 

 まず、これは何度だって言いたいことなのですが、「推し方にも色々形態がある」!これです。

 警察や、同じように推してる人や、ましてや推し本人に迷惑をかけなければ、ある程度どんなやり方でだって推せるのが推しってもんでしょう。

 一人でこっそりTwitterでつぶやくも良し、友達とキャーキャー言い合うも良し、自分だけ見ていて欲しいと思うも良し、推しに認知されたくないと思うも良し、自分にはこの人だけと思うも良し、箱推しするも良し、お金を沢山使うも良し、お金を使いすぎないも良し、、、何だって良いんですね迷惑をかけなけりゃ。

 

 それをやれ偉そうに「それ浮気じゃ~ん!」とか訳の分からんことを言って色々なジャンル・作品・アーティストの推したちに囲まれ毎日がエブリディ、ハピネスチャージしている私の生き方を謎な角度から否定して私の推しさえ見下すような人間がこの世には存在してしまっているわけです。

 その人が同担拒否のリアコでATMなのはかまいません。というよりも心底どうだって良かったです。が、何かもう、無理になってしまいました。ただその人とまっっったく話が合わなかっただけの話なのですが。

 

 「生活費切り詰めて食事代まで手をつけ始めてからが本番だよ」とか言われたってなんて返せばいいか分からんもんもう…あの人はその武勇伝にどんな感想を求めてたんだろうな。

 その頃から私はその人に推しの話はしないようにしましたし、「ほ~ん」とか自分でもよく分からない返事をするだけで勝手に推しの話をしゃべり倒すので、さして何の感想も欲しかった訳ではなく、同じように私の推しのことなんて覚えていないのでしょう。

 

 豆腐は木綿か絹か…なんて会話ならまだしも、それこそその存在によって生かされているような、そんな激重感情を背負う人間だっている「推し」という話題には絶対に口を出すべきではないのです。

 (豆腐の木綿・絹に激重感情を抱いている方は例に出してすみませんでした。)

 

 

 

 推しと、私と、話の合わない人たちの攻防はまだまだあるので、暇を見て続けようと思います。