惜春エクストリーム宿世

♪自~我を 取り戻せェ~

青春とは程遠い人生に新たな風が吹く

 永石花瓶です。

 め~~~~ちゃ久しぶりの更新でウケる

 

 書こうと思っていた投稿はいくつもあったのですが、文章の推敲を重ねているうちに文章がゲシュタルト崩壊してきて、そのうちやめてしまったものが3つほどあります。あの子たちには可哀想なことをしました。南無三。

 

 今回このブログを再び動かそうとしたきっかけは、一昨日見たある夢に、今もまだ気持ちが揺さぶられていることによります。

 誰かに言いたいけれど、でも誰にも言いたくないこの感情が、私をこのブログへと向かわせました。ここなら知り合いが誰もいない。きっと誰も見ない。けれど全世界に公開されている。このくらいの距離感が丁度良い。

 なので都合良くこの場を借りようと言うわけです。好き勝手やる人生^^

 

 ブログ名にも『惜春』と付けたことですし、過ぎた昔を思うようにその夢の話をしていこうかと思います。

 

 今回見た夢の中で私は柄にもなく(柄にもなく?)ある女子高生でした。クラスに1人はいる、イモっぽい女子。

 永石花瓶の高校時代よりはるかに社交的でしたけどね!!!!

 でもって私と、私と一番仲の良い女の子、加えて男子3人でよくしゃべる5人組の友だちのようでした。

 

~登場人物紹介~

  • 仲いい女の子⇒『ちびまる子ちゃん』のたまちゃんに似てたので「たまちゃん」
  • 永石花瓶の小学校の同級生・那須くん(仮名)と『スキップとローファー』の志摩君足して2で割った雰囲気だったので那須くん」 

 

 この3人と、後述する男子2人合わせて5人で、割と仲良くおしゃべりしながら楽しく過ごしていました。

 ある日那須くんが事故だか、事件だかに巻き込まれて、命には別状のない程度のしっかりとした怪我を負った時期がありました。私は那須くんがとても優しくて男子の中では一番話しやすいと思っていたから、何か、何かできることはないかと模索したんですね、お見舞いに行くにも何か手土産が必要だと思い、私は考えた結果、紫と黒のふわっふわのミニスカートを手作りすることに決めました。何故。

 

 徹夜して夜通し生地を縫い、何とか那須くんの退院に間に合うように作ろうと頑張ったのですが、結局間に合いませんでした。

 

 那須くんは退院してすぐ学校に来たので、私は久しぶりに会えたことが嬉しくってたまらなくて、しかし同時に自分が今手にしている作りかけのミニスカートの異様さにようやく気がつきました。

 教室に顔を出した那須くんに小走りで近寄って「退院おめでとう」だの「無事で良かった」だの話しかけるんだけど、私に返してくれる笑顔に胸が痛い。自分は何をしているんだろう、と後ろ手に抱えるミニスカートの存在が恥ずかしくて、情けない気持ちでいっぱいになってしまって、そそくさとその場を後にしました。

 

 私のあとすぐにたまちゃんが那須くんに話しかけて、2人が楽しそうに話している。その時、私はある感情に気がつきました。

 

 那須くんのことが「好き」

 

 そこで驚いて目を覚ましてしまいました。変な話だよね、頭のおかしい『君の名は。』みたいな感じでね。

 

 私がこの投稿で本当に言いたかったことは、「好き」と言う感情・感覚についてです。

 永石花瓶は、生まれてからたったの一度も人のことを性的に好きになったことがなかったので、夢の中で初めて「好き」と言う感情を知りました。

 少女漫画も少年漫画も青年漫画もBL漫画も嗜んで生きてきている割にどんな人間にも性的な情愛を抱けず、単に「いいひと」がいなかったのか、はたまたそういう感情が欠落しているのか疑念を抱いていた人生だったので、今回の夢はものすごく革新的でした。

 

 思えば那須くんと話すときのドキドキ感や怪我をした那須くんに何かできることはないかと言う焦り、久しぶりに会えた嬉しさの全てが、今まで「永石花瓶」が経験してきた感覚とは訳が違った…ような気がするんですよね~

 その感情が何だか面白くて、またちゃんと味わって見たくて、自分が感じたのかもよく分からないその感情を揺さぶってくる夢の中の那須くんにまた会ってみたくて仕方がないですね。ストーカーみたいにこの夢のことばかり考えている…既に末期

 現実世界で会えないんですかね??クソ面白いのになぁ~~~~~もう顔も覚えてないですけどね^^ 夢ってそんなもん

 

 現実世界の同級生・那須(仮名)は連絡先も知りませんしどこで何しているのかも小学校以来知らないので何故今になって出てきたのか不思議ですが、その小学生時代に席が近くなることが多かったので割と仲のよい男子であったことを思い出すきっかけになりました。

 

 また夢に出てきた他の男子2人に

  • 小柄で猿っぽい元気男児だったので「猿田くん」
  • 漫画でよくいる胡散臭い雰囲気の癖に恋愛で後手に回って結果好きな人の幸せ願って身を引く雰囲気の男だったので「胡散くん」

 という方々がいましたが、ただの俺の性癖のごった煮なだけで全く活躍を覚えていないので割愛しました。すまんの

 

 また会えないかな~~那須くん

 

推しという概念 I

 永石花瓶です。

 

 皆さん、今日もギリギリで生きていますか?

 私はというと、ジリジリと骨まで溶かすような夏の暑さも過ぎ去ったというのに、猛暑の夏にクーラーの効いた居間とクーラーの無いジメジメした自室との行き来のみを繰り返した弊害の腹の緩さを未だに引きずっています。

 

 ここで突然ですが、「あなたの推しを見せてください」。

 

 ん~?急に昼めし旅みたいなこと言ってんな~!!!と思った方、正解です。夏休み中に毎日毎日昼めし旅を見たせいでお昼12時はヒルナンデス派だったのに、今は昼めし旅を見ないと禁断症状が出るまであります(出ない)。

 

 少々脱線したところで、あの質問を受けてあなたの脳内には一人や二人、あるいはもっと多くの推しが思い浮かんだのではないですか?一人もいないにしても「この人は推しと言えるかな?」なんて考えてくれていたらうれしいです。知り合いの推しのことだって良いです。それだけで質問者冥利に尽きます。

 

 そしてありがたいことに私にも推しが存在します。それはもう、山のように。二次元から三次元まで、それはもう幅広く享受させていただいているので、今日も何とか生きています。

 

 しかし、簡単には言い表せないのが推しってもんです。それでいいのに、人の推し事形態を自分の型にはめようとして、型から外れた人をまるで非国民かのように言ってくる人っていますよね?なんかもう無理じゃないですかそういう人。私の知り合いがそうです。

 なので今回は、そんな人間によって生きづらくなった話をします。

 

 まず、これは何度だって言いたいことなのですが、「推し方にも色々形態がある」!これです。

 警察や、同じように推してる人や、ましてや推し本人に迷惑をかけなければ、ある程度どんなやり方でだって推せるのが推しってもんでしょう。

 一人でこっそりTwitterでつぶやくも良し、友達とキャーキャー言い合うも良し、自分だけ見ていて欲しいと思うも良し、推しに認知されたくないと思うも良し、自分にはこの人だけと思うも良し、箱推しするも良し、お金を沢山使うも良し、お金を使いすぎないも良し、、、何だって良いんですね迷惑をかけなけりゃ。

 

 それをやれ偉そうに「それ浮気じゃ~ん!」とか訳の分からんことを言って色々なジャンル・作品・アーティストの推したちに囲まれ毎日がエブリディ、ハピネスチャージしている私の生き方を謎な角度から否定して私の推しさえ見下すような人間がこの世には存在してしまっているわけです。

 その人が同担拒否のリアコでATMなのはかまいません。というよりも心底どうだって良かったです。が、何かもう、無理になってしまいました。ただその人とまっっったく話が合わなかっただけの話なのですが。

 

 「生活費切り詰めて食事代まで手をつけ始めてからが本番だよ」とか言われたってなんて返せばいいか分からんもんもう…あの人はその武勇伝にどんな感想を求めてたんだろうな。

 その頃から私はその人に推しの話はしないようにしましたし、「ほ~ん」とか自分でもよく分からない返事をするだけで勝手に推しの話をしゃべり倒すので、さして何の感想も欲しかった訳ではなく、同じように私の推しのことなんて覚えていないのでしょう。

 

 豆腐は木綿か絹か…なんて会話ならまだしも、それこそその存在によって生かされているような、そんな激重感情を背負う人間だっている「推し」という話題には絶対に口を出すべきではないのです。

 (豆腐の木綿・絹に激重感情を抱いている方は例に出してすみませんでした。)

 

 

 

 推しと、私と、話の合わない人たちの攻防はまだまだあるので、暇を見て続けようと思います。

 

 

自分の心に聞くってつまりどういうことなんだろね

 永石花瓶です。

 今年、私は現実のヤバさを知りました。

 

 2021年冬、人生の山場を乗り越え新たな環境に踏み出したわけなのですが、輝かしい春を迎えるべく外の世界に目を向けていたつもりが、実は人生で最高に周りを気にせず、自分の今後の行く末すら気にも止めず、山を乗り越えるためだけに生きていたらしいのです。自分でもビックリ。

 

 それからというもの、燃え尽き症候群とでもいうのか……どうも生きづらい世の中になっている気がしてならない。今までどうやって生きてきたかが分からない。これで良かったのかすら確信が持てない。現実に対してこいつァおかしいんでねェの?という思いが抑えきれない。そんな日々。

 

 山を越える前はこんなに生きづらくなかったはずなのに、まさかの人生の下り坂真っ逆さまである。下りの方が楽なんて通用する訳がね~~~~~!!!!

 果たして環境が変わっただけでこんなにも心身ズタボロになるんか???という現実への不信感がすごい。まじで。

 

 以前は楽しくやっていたことが全く楽しくなくなっているのが一番の難点ではなかろうか??????

 

 物事の捉え方が変わって大人になったんでちゅね~ヨチヨチ  なんて推しにでも言ってもらえれば少しは納得できるのに、そんな現実すら存在しない誰得なのが現世らしいので…そんなこんなで文字に起こして心の整理でもしていこうと思った次第です。

 

 

 

 

 

 六月、春先の諸々のストレスがメンタルの限界にまで達していた頃に何気なく開いたブログの主様が、心の奥底のネチャネチョ(褒め言葉)をバチボコに書き連ねていたのにバチボコ救われたので私も興味が湧いた、というのが本音ですが。

 敬意を込めて。